電球の発明はもしかしたら「功罪」だったのかもしれない、と書いたが、要はその後の使用の仕方に問題があったのだと思う。
明るくなるのをいいことに、「必要以上に」明るくしてしまった。
(日本の都市は特に。)
「薄暗がり」「暗がり」をほとんど知らないで育つと、想像力が働かなくなる。「もしかしたら、なにかいるかもしれない」と勘ぐる必要がないので、防衛本能が廃れていく。
日本では料金さえ支払えば24時間電気が使えるが、国によっては「電気使いすぎ」といきなり停電になるシステムがとられている。
それぐらいで、ちょうどいいような気がする。
便利を追求して電化が進めば進むほど、本来の「自然」からかけ離れていく。夜が暗ければ休まざるを得ないが、明るければ「まだ働ける」と無理をするようになる。
次第にどこまでが「無理」か見失い、どこまででも「無理」を追及するようになる。
本当にそれは明日までに届ける必要があるのか?
元来急ぎではないものまで急ぐのが標準になると、本来の「急ぎ」が発生したときにシステムがパンクする。
何かが、おかしい。
急がないでいいものまで急ぐのが「標準」になった時点でエネルギーの無駄遣いなのではないだろうか?
2006年10月29日 21時25分